旭五蔵 #04『つながっていく想い』
〈旭五蔵〉オーナー・穂高進さんは、穂高家11代目として母屋と5つの蔵を大切に受け継いできました。
一番古い蔵は、江戸時代(安政3年)に建てられています。蔵群は当初、米などの穀物の貯蔵庫でした。後には、その幾つかが学生の下宿として、或いは家伝の茶道具などの収蔵庫として活用されています。その時々の需要に合わせて用途を変えながらも、すべての蔵が常に使われている状態が保ち、必要とあれば修繕を施してきた営みは、歴代当主の家を愛する気概の表れといえるでしょう。
きっと先代達の心意気が、次代・千恵美さんにも引き継がれ、蔵のひとつに自身のサロンを構える決断に至ったのではないでしょうか。
穂高家の皆さんは、千恵美さんが移転先に決めた蔵の魅力を最大限に活かしながらサロンへの改装を進めることのできるパートナーを探しました。その結果、人の繋がりから、長野市〈シーンデザイン建築設計事務所〉宮本圭さんにたどり着いたのです。宮本さんは、善光寺門前エリアで数多くのリノベーション案件を手がけてきた建築士。穂高家の蔵群を初めて見たとき「蔵には立派な材が使われている。傷んだところが適宜修繕されている点も素晴らしい!」と感動して、ひとつの蔵だけでなく、すべての蔵と母屋全体を活用する手立てはないか、と思案しました。
そのとき宮本さんの頭に浮かんだのが、ちょうどそのころ松本で、空き家を活かして街を愉しくする取り組みを始めた〈そら屋〉のことでした。
「全体の設計は自分がやるとしても、それぞれの建物を活用するテナントのディレクションは、地元に腰を据えて向き合える人たちが担うことこそ望ましい」。そう考えた宮本さんは〈そら屋〉メンバーの一人で、同じ設計士として交友もあった横山の事務所〈リスと設計室〉が、穂高家から徒歩数分であることを思い出し、その足で横山を訪問します。〈古道具燕〉北谷も合流して、穂高家に舞い戻った3人は、現地で建物群のポテンシャルを確かめ合い、「やるしかない!」と一致しました。
このような経緯で〈旭五蔵〉のプロデュースを手掛けることとなった〈そら屋〉。
永い歳月をかけて紡がれてきた穂高家の想いや、宮本さんから託されたバトン、その流れをしかと受け止めつつ、でも自分たちの持ち味である軽やかさや伸びやかさも忘れずに、この度〈旭五蔵〉に挑みます。